ネブライザとは、薬剤を何らかの方法で霧化して患者に投与するデバイスです。
多くの耳鼻科やアレルギー科の外来処置室に備えられており、病院でも入院患者に用いられることがよくあります。
この市場が激変したということを、弊社が自主的に行った医療市場調査で明らかになりました。
蒸発した市場
数は処方名『ネブライザ』(J114)と『超音波ネブライザ』(J115)の処方回数のグラフです。
2020年度、すなわち2020年4月~2021年3月までの1年間は、前の数年間に比べて劇的に市場が縮小しています。
2019年度も2020年3月が含まれるので軽微な影響を受けていますが、2020年度は顕著です。
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数千万回の処方はどこへ?
『不要不急の外出は控えるように』と言われた2020年春は一斉休校などの措置がとられました。
医療も自粛され、手術が延期されることも珍しくありませんでした。
代替する治療法があれば代替、例えば積極的な外科手術が延期になっても薬物療法や保存療法など何らかの対応がとられました。
ネブライザ治療は何かと置き換わったという訳ではなく、完全に蒸発してしまったようです。
それにより、ネブライザ市場が縮小しました。
処方回数が6千万回ほどあったものが、2千万回に迫る勢い、3分の1近くに減りました。
耳鼻科の収入減
処方料は年によって多少違いますが処方回数に比例しますので、医業収入で言うと100億円あった市場規模が40億円へ縮小しました。
ネブライザ専門医院はないと思いますが、耳鼻科医院などでは装置を購入し、スタッフも配置していますので、コストだけが出ていく形になったと思います。
ネブライザ部屋が5席、装置が5台あったとすれば2席・2台で足りますので3台は何も生み出さない資産となり、3席分のスペースの家賃もただ空気のために支払うようなものです。
製薬も収入減
薬剤も市場蒸発が顕著です。
一例として『パルミコート吸入液』を見てみると、薬価ベースで60億円あった売り上げが、2020年度は20億円にまで減っています。
処方される数を見ると年間2千万回、すなわち2千万本、毎月150~200万本くらい出荷していたものが月100万本くらいに減ったので、生産計画に大きなダメージを与えていると思います。
何も作らない工場でも設備は残っていますし、場合によっては空調や照明は生産していなくても使わざるを得ないかもしれません。
医薬品工場の厳しいクリーン度維持には相応の費用がかかるため、単に空気といっても、タダではありません。
材料の仕入れも、これだけ量が減ると高くなりそうなので、いまの薬価では不採算にならないか心配されます。
市場撤退されると困る
パルミコート吸入液はネブライザ治療で多用されており、この薬が無くなると困る患者さんが居ると思います。
そもそもネブライザが必要という時点で、身体が強いという訳ではなく、アレルギーなど何らかの疾患を持っています。
薬の相性もあるので『パルミコートなら大丈夫』という人が居るかもしれません。
なぜ『市場撤退』かと言うと、薬価の不採算です。
過去に狂牛病が社会問題化したときに、医薬品や診療材料の製造過程での検査項目が増えてコスト増となり、日本では薬価や償還価格が公定価格として決められているのでメーカーは不採算となり、日本市場から撤退した例がありました。
コロナ禍で処方数が減った薬について、売価へ転嫁できない経費は製薬メーカーの持ち出し、不採算であれば徹底は仕方ないでしょう。
しかしながら、薬を待っている患者が居る事、その数が数十万か数百万人も居るであろうことを考えると、撤退は国民にとって不利益かもしれません。
くすりの値段
薬は、工業製品としての製造原価は数円~数十円程度だと思われます。
薬の成分は細かく添付文書等に記載されていますし、インタビューフォームなど様々な資料が公開されています。
例えばブドウ糖注射液は、『精製ブドウ糖』と精製水で構成されます。
100mLに対して5gの精製ブドウ糖を使っているブドウ糖注射液は原材料が精製ブドウ糖5gと精製水95mLくらいです。
精製ブドウ糖の原価は知りませんが、市販品でいうと1kgあたり5千円くらいかなと思われます。
精製水は買わずに内製すると思いますが、買ったとして20L入りが2千円くらい、100Lで1万円くらいです。
仮に1トン分を作ろうとすると、精製ブドウ糖が50kg(25万円)、精製水が950L(9.5万円)必要になります。合わせて34.5万円です。
345,000円/1,000Lなので345円/1L、0.345円/mLという計算になります。
これは材料原価ですので製造コストやパッケージ、輸送費などがかかります。
商品名 | 薬価 | mLあたり |
大塚糖液5% 20mL(管) | 66円 | 3.30円/mL |
大塚糖液5% 50mL(瓶) | 132円 | 2.64円/mL |
大塚糖液5% 100mL(瓶) | 136円 | 1.36円/mL |
大塚糖液5% 250mL(瓶) | 189円 | 0.76円/mL |
大塚糖液5% 250mL(袋) | 189円 | 0.76円/mL |
大塚糖液5% 500mL(袋) | 221円 | 0.44円/mL |
ブドウ糖注射液自体には特許性はなく、自宅でも作れなくはないと思いますが、効果効能が高いものは特許性があるものが多いです。
医薬品の価格には原材料費や生産設備などの製造原価、梱包や輸送などの物流費、広告宣伝費、医薬品ゆえの品質保証経費などが恒常的にかかります。
そして、医薬品が世に出るためには開発が必要であり、その開発費は対象となる医薬品が誕生するために係る最低限度の開発費とは別に、失敗リスクや知見の積み上げに係る経費も必要です。
1本100億円のプロジェクトが10本並走し、1本だけ製品化できたとすると開発費総額は1,000億円です。
年間1千万本、10年で1億本の出荷を見込んでも開発費相当分だけで1本あたり1,000円かかります。
これが出荷半減となると1本あたり2,000円貰わないと開発費が回収されません。
特許が関係する場合、特許取得から市販までの期間もあるので実質10年程度しか独占できずジェネリック薬品が出て来てしまうので、その間に開発費を回収しなければなりません。
開発費の案分は、出荷数とのバランスが難しいです。
原材料費は出荷数が下がれば高単価になりますし、設備も10億円かけてつくった量産ラインが使われなければ、その10億円は他の薬剤に振るか、当該薬剤の価格に転嫁するしかありません。
出荷が減る事で、これだけ経費に影響がでます。
【参考】大塚糖液5%
【参考】PMDA:精製ブドウ糖
【参考】アスクル:林純薬工業 ブドウ糖(D-グルコース) 特級 500g
【参考】Amazon:精製水
医工連携的な切り口
今回の新興感染症流行拡大によってネブライザが『悪』という訳ではありませんが、事実上のハザードとみなされて、誰かに危害を与える前に自粛という流れになりました。
ハザードがリスクに変わるのは、その因子が『危害を与えられる状態』にあるときです。
檻の中にいる猛獣は見物客にとってリスクではありませんが、猛獣自体はハザードです。
ネブライザが公衆の前で使用されることがリスクであるとすれば、誰も居ない場所で使用できればリスクは減少することになります。
その手段として、完全に隔離できて滅菌もできるネブライザ専用場所を作るか、自宅にネブライザを持ち帰ってもらうか、この2つが安易に考えられる方法かと思います。
前者についてはテナントビル内に造る事も大変ですし、新興感染症の感染源であるウイルスの除去方法を完全に実施することは容易ではありません。
感染していない人を隔離部屋に入れることは倫理的にも問題がありそうです。
後者の自宅に持ち帰るネブライザについては、可能性があると思います。
既存製品が3~5万円、医療機関が使う物は10万円近いものもありますが、これが1万円未満であれば手が出せるかもしれません。
処方料だけで60億円、薬剤が1剤で40億円、合わせて100億円も市場が消えたのであれば、ここに数億円の投資をして50億円分の市場を取り戻すこともできたかもしれません。
仮に患者が10万人居たとして、1台5千円の装置を無償貸与すると5億円の費用がかかります。この5億円の投資が50億円の売上をもたらすとすれば、業界全体にとってはさほど悪くはない話かもしれません。
何よりも、ネブライザ治療を必要としている患者に、ネブライザ治療が届かないことが問題であったと思います。
弊社の医療市場調査について
この記事に在るデータや所見は弊社のオリジナルです。
おそらく、どこにも掲載されていないデータがあると思います。
医療機器産業に限らず、事業化するには市場データは必要になりますし、今回のように他社が気づいていない新市場の可能性があれば、データの価値は高まります。
『儲かる市場を探して欲しい』と言われてもなかなか情報提供は難しいのですが『あの市場を深掘りしたい』と言われれば、弊社の調査能力を発揮しやすくなります。
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