1923年(大正12年)9月1日(土)11時58分に相模湾北西部を震源とするM7.9(推定)の大地震が発生しました。
学校で『今日は防災の日です』『避難訓練をします』と2学期の最初の恒例行事があった記憶がありますが、関東大震災について深く学ぶ機会は筆者には無かったと思います。
今では災害コンサルを生業としていますので色々な情報も耳にしますが、今回は当時と現在を比べてみたいと思います。
死者10万5千人、焼死9割
1923年の関東大震災では『東京の大火災』により東京は焼け野原となり、様々な形で火災による死が訪れました。
当時は木造が中心の建物でしたが、現在は鉄筋コンクリートや鉄骨造りの建物も増え、隣接する建物との間隔など様々な規制があるので100年前とは事情が違いますが、それでも大火は起こり得ます。
記憶に新しいところではハワイのマウイ島の山火事が街を襲い甚大な被害をもたらしました。
【参考】日本経済新聞:ハワイ・マウイ島で山火事(2023年8月10日)
日本では2016年に新潟県糸魚川市で大規模火災が発生しています。
火元は駅前商店街の1店舗であったそうですが、強風にあおられて市街地へと広がりました。
火災発生は12月22日10時20分頃とされており、消防の覚知時刻は10時28分、鎮圧が20時50分、鎮火は23日16時30分です。平均して風速10m/s程、強いときで20m/sの風が吹いていました。
【参考】消防研究センター:平成28年(2016年)糸魚川市大規模火災 調査報告書
【参考】国土交通省国土技術政策総合研究所:平成28年(2016年)12月22日に発生した新潟県糸魚川市における大規模火災に係る建物被害調査報告書
1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災でも火災による被害が大きくなりました。
火災発生件数に対して消防車が足りない状態、断水により消防用水が不足する状態、瓦礫で道がふさがれ消火活動に行けない状態などが重なりました。
さらに、停電から復旧した街で一斉に火災が発生したのではないかと疑われる検証結果も公表されています。
『通電火災』などと呼ばれるもので、復電後に損傷した電気製品が火災を起こしたり、電熱器やドライヤーなどのスイッチが入ってしまっていて火災を起こすようなケースです。
【参考】NHK:電気火災に注意! 感震ブレーカーで通電火災を防げ 実験動画(2021年1月6日)
2023年に関東大震災が起きても焼死者が9割を占めることはないかもしれませんが、延焼範囲としては大規模になる可能性があります。
東京であっても木密地域は残っていますし、全国どこでも木造住宅の密集地はあります。糸魚川の大火では昭和8年築の建物が多かったことが延焼の一因になったと考えられますが、昭和50年代の建物でも消火活動をしなければ延焼します。
1923年の電力事情と違い、2023年に電力を使っていない建物を探す方が難しい状況ですので、通電火災のリスクは相対的に高いと言えます。
電気自動車やハイブリッド車が増えたことで、津波や高潮による自動車からの火災も発生しやすくなっています。
2018年の台風21号では高潮の影響によりプリウスなどが大量に燃えたというニュースがありました。弊社からもそう遠くない場所での出来事です。
【参考】朝日新聞デジタル:駐車場付近で火災、車100台が炎上 兵庫・西宮(2018年9月4日)
消火活動については全国各地からの救援もありますが、阪神淡路大震災では『神戸に行く』ことが目的化してしまったがために、途中の芦屋、西宮、尼崎といった国道2号線沿いの火災に対して活動しなかったという話を聴いたことがあります。国道2号線は大渋滞で神戸まで何十キロも動けなかったという状況でした。現在では近くの火災を消していくという自律的な行動が許されているという話も聞きます。
交通渋滞については『グリッドロック』も課題となっています。都市部に車が集中してすべての道路が詰まってしまい互いに動けなくなる状態です。
公共交通機関が停止してしまって、都市部に迎えに行く人の車と、帰る車が互いに干渉し合い、更に歩道からあふれた歩行者の群が車道を使ってしまい道路が満杯状態になることがあります。
この状態では消防車も火災現場へいくことができません。
焼死者は出ないにしても、消火活動を妨げる要因はいくつも残っています。
消防の強化と弱体化
1919年の勅令『特設消防署規程』により京都市、神戸市、名古屋市、横浜市の4都市に公設消防署が設置され、既に組織されていた東京と大阪を合わせて6都市に公設消防署が在りました。
1948年の『消防組織法』が現在のような市町村長が組織する消防組織であり、救急は1953年から整備が始まったので、1923年と2023年の組織力の差は大きいと言えます。
2022年4月1日現在、消防本部は723、消防署は1,714あります。消防職員は167,510人、100年前とは桁違いだと思います。
一方で消防団員は年々減少しており、2022年4月1日現在は783,578人で、前年比21,299人の減少となっています。
消防署の正規職員は消火活動などのプロフェッショナルとして活躍しますが、その活動範囲は『管内全域』なので狭く見積もっても市内全域、広域消防組合であれば複数の市町村にまたがった広範囲になります。
消防団は比較的狭い範囲、町丁単位で活動するので発災時の初動には頼りになる存在です。
【参考】総務省消防庁:消防体制, 令和4年度版消防白書;P111-116
【参考】総務省消防庁:特集3 消防団を中核とした地域防災力の充実強化, 令和4年度版消防白書;P21-33
大震災を想定するならば、地域住民の誰もが消火活動に参加できる仕組み作りが必要になると考えます。平時に起こる単発の火災については消防団員にお任せするとしても、災害時は人手も機材も足りなくなるので、消火活動に参加したいと思う誰もが参加できるように、少なくともポンプ等は整備しておく必要があると思います。
筆者は発電機と揚水ポンプを常備しています。
このポンプ(RMG-3000)を用水路に投げ込んだとして揚程2mほどとすると毎分75Lの吐出量を得ることができます。10Lのバケツに8分目まで水を汲んで1分間に9~10往復のバケツリレーを成功させるのと同程度の量なので、かなりの労務軽減になります。
消費電力は300Wなので可搬型発電機『ENEPO』で十分に動作できます。
私たちの自主防災です。
【参考】京セラ:水中汚水ポンプ RMG-3000 取扱説明書
水道普及率
1923年の水道普及率は19%という記録があります。まだ水道の黎明期か普及期といった時代ですので、納得の数字です。
現在の水道普及率は100%に近く、一般的に住宅を建てるような場所であれば容易に水道契約ができる状況です。
一方で井戸については衛生管理が厳しく規制されているため設置数は減少しており、『井戸端会議』が行われた地域共有の井戸は見かけることは無くなりました。
畑などの農作業用に井戸を設置しているケースがありますが、その数は多くありません。
避難所となる小学校などに設置しているケースもありますが、普段はフェンスで囲って触れないようにしてあることもあり、いざというときに水が出るのか心配されます。
暑さ
100年間で暑さは激変しています。
1923年9月1日の東京都の気温は記録されていませんが、8月31日の最高気温は30.8℃、最低気温25.0℃でした。震災翌々日の9月3日は最高29.3℃、最低25.0℃でした。
2022年9月1日の最高気温は32.7℃、最低気温23.6℃でした。8月31日の最高気温は32.5℃、最低気温22.3℃でした。
2023年は異常な暑さでしたが月間最高気温を記録した8月4日の東京都は最高気温36.7℃、最低気温26.8℃でした。体温並みの最高気温が付きの半分くらいを占めました。
百葉箱のような測定環境ではなく、実際の屋外はどうなのかを調査した2022年の弊社データでは、炎天下では50℃を超える時間が毎日数時間あるような状況です。
30℃と35℃の差は数字で『5℃しか』違わないと見る人も居ますが、水で言えば冷たくない水と感じるか、お湯と感じるかといった差が出る温度帯ですので、身体には厳しいです。
この炎天下で、荷物を持って徒歩で遠隔地まで避難や疎開をするのは身の危険を感じると思います。
2023年はプロゴルファーが、熱中症の危険を感じて大会を途中棄権するケースが相次ぎました。仕事として参加しなければならない大会を放棄するほどの危険性があります。
【参考】NES株式会社:炎天下55℃ 避難所・災害復旧・墓参注意
人口差
1923年の人口は5,812万人、現在は1億2,5500万人程なので2倍以上の差があります。
東京都の人口は1923年は400万人程、現在は1,400万人超、その差は大きく開いています。
高齢化率は5%程であったものが、現在は30%程、高い地域では50%程になっており、社会の担い手やケアが必要な人の数が大きく様変わりしています。
筆者の住む自治体(市)が発行する地域防災計画は、基本的には阪神淡路大震災を踏襲しているのですが、当時の高齢化率は10%程、現在は30%程なので避難所運営や隣保協同の在り方が変わっているはずです。それを反映させずに災害を待っている状態なので、発災後にトラブルが発生する恐れがあります。
関東大震災から100年の今、職業も生活様式もまるで違います。モノづくりなど肉体労働者は減り、ホワイトカラーと呼ばれる人が増え、交通の発達で自宅と職場の距離は延び、一方でリモートワークも普及して働き方がまるで変っています。
肉体労働が減るということは、モノを作ったり壊したりする経験も減ります。D.I.Y.をしていることがSNSで発信できるネタであることからも垣間見えますが、道具を使う機会が非常に少ないのが現役世代の特徴かもしれません。
何千万人という単位での人口の差は、救援してくれる人数が増えたことにもなりますが、被災者の人数を増やす結果にもつながります。
よく阪神淡路大震災と東日本大震災を被災者数で対比することがありますが、その数字は比較すべきものではありません。都市部での直下型地震であるがゆえに神戸市で甚大な被害を出した阪神淡路大震災と、比較的人口が少ないエリアであるが広範囲で津波被害があった東日本大震災では、見るべき点が異なります。
もし2023年9月1日に関東大震災が発生した場合、被災者数としては阪神淡路大震災が参考にしやすいかもしれませんが、津波や液状化が複合する災害となり得るため被災エリアについては東日本大震災を参考にすべき部分もあります。
日光街道、水戸街道、中山道、東海道など江戸時代からある道路は今も重要な交通網ですが、沿線に住む人数や職業は変化しているので、過去の災害を参考にしつつ、新しい対策も検討していく必要があります。
【参考】国立社会保障・人口問題研究所:日本の総人口,人口増加,性比及び人口密度:1920~2005年
【参考】国立社会保障・人口問題研究所:都道府県別人口 1920~2000年
湾岸
1923年の東京湾や相模湾といえば、まだ漁業が盛んであったと思います。
リゾート地として有名や葉山や逗子は相模湾を一望できる絶景スポットでもありますが、津波も心配されるエリアです。
1923年には無かった埋め立て地が東京湾にはたくさんあります。羽田空港が1つの例ですが、川崎や横浜などの港湾整備もしかりです。
ハザードマップで見ると、津波の被害は沿岸部の比較的狭い範囲ですが、高潮は川を逆流して広範囲に影響する恐れがあることがわかります。
すなわち、津波と高潮が重なった場合には、相当に大きな被害が起こる可能性があります。
2023年9月1日の干潮は11時45分で潮位は6cm、満潮は4時57分の162cmと18時12分の152cmです。
同日の東京は干潮が関東大震災が起きた頃の11時57分で20cm、満潮は5時11分に218cm、18時16分に210cmです。
潮位によって1~2mの差があるので、津波の影響も相応に変化します。筆者はバイクで移動することが多いのですが、大きな川を渡るときに潮の臭いを感じる日がときどきあります。潮位によるものと思われます。
今年の防災白書
2023年の防災白書は冒頭で関東大震災を特集しています。
その8ページには隣保協同に関する話題が提供されています。当時はラジオ放送も始まっていない、消防や救急も発達していない時代ですので、国民の自主的な助け合いが起こったようです。
富豪の大邸宅が避難所として提供されたとの記録もあります。
1995年の地下鉄サリン事件では、築地の本願寺境内が傷病者の収容場所として提供されました。地震と違い同時多発テロ、それを覚知するまでに時間を要したため傷病者が数千人にのぼるという想定も無いままにあちらこちらで人が倒れていました。
12ページでは『関東大震災を契機とした災害対策の充実・強化』として耐震規制などが紹介されています。
防災白書全体では、わが国が直面するであろう危機について予測や啓発など様々な形で述べられています。流し読みでも良いので、ご一読されると良いと思います。
おわりに
明日9月1日は関東大震災から100年ということで、今日は100年前との対比を意識して防災について述べました。
筆者の人生が大災害に遭う事なく終わるとしても、後世の誰かは大災害に遭う事になると思いますので、人類の長い歴史を鑑みて防災に努めるべきかなと思っています。
当面は自身のための災害対策を、それはいずれ誰かに継承されていくものと思って推進したいと思います。