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能登半島地震から200日  | NES’s blog

 2024年1月1日に奥能登地方を中心に甚大な被害を出した令和6年能登半島地震から200日となりました。

令和6年能登半島地震




あの日のTV

 あの日のテレビ放送で話題になった2つの番組があります。

 1つは、NHKの山内泉アナウンサーの感情を込めた避難の呼びかけです。


 もう1つは、兵庫県ローカルのサンテレビが流した多言語放送です。
 こちらは、おそらく事前に収録したものであろう動画を組み合わせて避難を呼びかける内容です。


 同じ兵庫県内のテレビでも、危機感が違うことがわかったのも元旦の出来事です。




100日頃

 4月9日が100日目でしたが、その頃でも2月頃と大きく様子は変わっていませんでした。

 4月9日には石川県の第46回災害対策本部員会議が開催されました。この日でも一次避難所が142箇所、3,351人の避難者が入所していました。二次避難所は169箇所、2,603人でした。


 タレントのたかまつななさんのチャネルでは同じ頃に珠洲市などを訪問した様子を報じています。まだ水が自由に使えないという話題が重く感じました。




200日

 半年以上が経過した現在、仮設住宅の建設は着実に進み、完成すれば入居するといった状況が続いています。希望者全員に行き渡るまでには時間がかかりますが、進捗がゼロではない点は望みがあると思います。

 被災家屋の解体や撤去が進んでいないことも課題として浮き彫りになっています。
 中には、住民が亡くなってしまい判断がつかない物件もあるようですが、ご無事であっても被災地に戻って来ていないなど、様々な要因で解体が進まないようです。

 奥能登という立地から、建設業者が滞在するホテルなどが少なく、金沢など遠方から現場に通わざるを得ないという点も課題として見えてきました。
 燃料費や宿泊費などの『掛かり増し経費』については県が市況に応じた額を支給することで落ち着いたため、受益者である被災者宅が負担すべき費用は純粋に工事費のみということになりそうではあります。

燃料費 約28円/km・台(上限5,200円/片道・台)

人件費 13,200円/人・往復(水道配管工積算単価26,312円×0.5日)

宿泊料 9,800円/人・泊(定額)

宅内配管修繕工事の掛かり増し経費のイメージ(例:金沢の業者が輪島に行く場合)

 復旧については進められている実感がありますが、復興についてはまだビジョンが見えていないかもしれません。

 石川県では『創造的復興』と題して進められるという基本方針は示されていますが、何を以って創造的と言うのかがまだ固まっていないように思えます。
 実際に石川県民の若い方にお聞きしましたが『元々、活力がないところに、どうやって基盤を作って創造していくのかわからない』とおっしゃっていました。
 発災前から県民であった人々を基盤に、新たな県民を呼び込むことが創造的復興なのか、被災地を含め現に石川県に居る人を総力とする創造的復興なのか、このあたりが示されないと県民の皆さんも展望が見えないのではないかなと思いました。

 被害の程度は奥能登ほどではありませんが、富山県や新潟県も被災地です。数十億円規模の被害がありましたので、まずは復旧、そして復興を図っていくことは石川と同じです。

 石川県全体の人口は110万人ほどです。大雑把に言うと富山県は100万人、福井県は75万人です。石川県は金沢市の人口が45万人超のパワーを持っているのですが、北へ行くほど人口が少なくなります。

 今日で200日ですが、これからの200日は再び寒くなっていくので、復旧工事も滞ることが予想されます。
 仮に、インフラが全面復旧したといしても、元の居住地に戻る人がどれだけいるのか、失った家を再建する人がどれだけ居るのか、どの被災地も見通せていません。
 あまり報道されない液状化現象の被災地では、同じ場所に家を建てることは想像していない人が多いと思いますが、二重ローンを組む事も難しく、仮設住宅を出る期限を迎えたとき、どのような決断をするのか、良い選択肢を持つことができるのか、この200日を機に考えていくことも大事かなと思います。




仮設住宅は建設工事より用地確保

 仮設住宅の供給が追い付かない要因は、建設業者が足りない訳でも、資器材が足りない訳でもありません。主に建設用地が確保できていないことが要因です。

 日本には『プレハブ』のノウハウがあり、建てること自体はさほど時間がかかりません。

 今回は大都市圏ほどの人口はなかったため、必要となる戸数は数千という単位の見込みです。プレハブであったとしても、造作であったとしても、資器材の手配は問題になるほどではないと思います。

 もし、自身の住む地域で同様の災害が発生した場合、人口に見合うだけの仮設住宅用地は確保できそうでしょうか。

 大きな災害が起これば、物資や人員の救援が集まります。救援物資のトラックだけでも100台を超えると思います。○○市へ行くというところまでは荷主の指示通りに動けると思いますが、そこから避難所や倉庫などへの移動には市災害対策本部などの指示が必要になると思います。
 このような救援隊の一次集合場所となるような、ロジスティクスセンターのような場所があると利便性が高まります。国道や高速道路の近くが良いと思います。
 地震や大雨で被害が少なそうなエリアに、トラックが100台程度停車できる砂利の駐車場があれば発災当初のロジ拠点として使えるのではないかと思います。

 この砂利の駐車場が、のちに仮設住宅の用地に転用できれば、一石二鳥ではないでしょうか。

 課題は、この砂利の駐車場をどう管理していくのかということです。街はずれで地価が安ければ調達や維持管理も重荷ではないですが、市域全体の地価が高ければ市民から『無駄な土地』と指摘されることもあろうかと思います。

 テニスコートやサッカー場のように整備してしまうと、仮設住宅を建てたときに『もったいない』『練習や大会の場所を奪われた』ということにもなりかねません。

 仮設住宅の用地確保は、平時から住民が考えていくべき話題であると思います。




生活の再建に必要な○○

 自らが被災者になったとき、最初の1週間や1カ月は『被災者』というシチュエーション(状況)に置かれているようなものです。あくまで一時的です。公務員や料理人など別のステータスを持っていても、被災者という状況は共通する可能性があります。

 病院では、入院患者はシチュエーション(状況)ですが、医師や看護師はステータス(状態)です。一時的か常態的かで区別できます。
 患者が入院患者でなくなるには退院する必要があります。患者でなくなるためには完治する必要があります。

 被災者というシチュエーションは、一生涯続くものではありません。被災経験者ではあり続けますが、被災者というシチュエーションは徐々に薄まっていき、社会復帰していくことが必然です。

 学生から社会人になり、独立した生計を持ったときに似ている部分があります。
 職業を持って稼ぐ力を身に付け、その収入で住居や食事を手に入れた状態(ステータス)は、社会人として独立したとみなされるかもしれません。

 被災により職業や住居を失う、あるいは一時的に離れていた間は被災者ですが、自らの職業や住居などを持つことで被災者ではなくなる、言い換えれば、被災者でなくなるためには職業や住居を持つ必要があると言えます。

 生活の再建には収入源と生活拠点が必要であると言えます。




職が無ければ

 奥能登では、水道などの社会インフラのダメージが大きかったため、地元業者だけでは復旧が追い付かないために域外、県外からも業者が入ることになりました。

 復旧を急ぐためには仕方ないという判断ですが、地域の雇用や納税を厚くするためには、地元業者や地元住民を使う必要があるという指摘もされ続けています。

 漁業、観光業、飲食業など奥能登ではビジネスが成り立たなくなってしまった業種がいくつかあると聴きます。この業種の従業者や経営者が皆、建設業界に労働移動すれば、十分な仕事量はあると思いますが、労働移動は簡単なことではありません。

 2011年の東日本大震災の被災地、特に津波被害が大きかった地域の訪問でも同様のことがありました。
 町内では建設業とコンビニ、仏具屋くらいしか仕事がないとおっしゃっていたことが印象的でした。元は漁業や農業に携わる人が多かった地域ですが、津波は地域産業を大きく変えてしまいました。

 ダーウィンの進化論の捉え方には色々とありますが、強さよりも柔軟さ、変化できる者が生き残る、状況を見極めた上での適切な判断をしなければ生き残れないと考えると、もし被災地に残って生きていくならば労働移動も受け入れなければならないかもしれません。

 近年、クマが市街地に出没してニュースになりますが、食べ物や生き方を変えるのではなく、拠点を移動することで生き延びようとしています。市街地では生きられないため山に帰されていますが、どこか住み心地の良い場所が見つかれば、居つくかもしれません。

 生きるために職が必要であれば、生きていくための職を見つけることが必要になります。

 従前からの職を続けることに意味があれば、場所を変えてでも職を続ける必要があります。医師や教師、弁護士などは資格と経験の組合せがその人の価値でもありますので、移住してでも職を続ける選択が多くとられると思います。




労働移動に係る○○

 パソコン講座など簡単な職業訓練は1日や数日の講座で完結しますが、専門的な技術を身に付けるためには半年や1年のスクーリングが必要になります。

 ある種の免許を取得するために、最短3カ月の受講が必要であったとします。

 被災して2~3カ月もすれば、自身の職業を続けられるか否かの見通しが立ち始めるとすると、その頃から職業訓練を開始して労働移動できるまでに、発災から6カ月は必要になります。

 最短で発災後6カ月で新しい『職業』(ステータス)の『新人』(シチュエーション)になることができます。

 労働移動のためには、最低でも半年程度の生活支援、その後の修行中の半年から数年程度の低賃金期間の収入補償が必要かもしれませんが、その給付が人生の立て直しに役立つと考えれば、資金を投じる意義はありそうです。

 労働移動や職業訓練について考える時期が遅ければ、全体に後ろにずれこみます。仕方ない部分もあるのであまりにも急かし過ぎるのは良くないですが、ある程度の期限を設けることで、公的資金や寄付による基金などで、被災者の労働移動の道筋をつけることができるかもしれません。

 『漁師経験者の料理人』『長距離運転手経験者のホテルマン』などが付加価値のある人材として働けるのであれば、労働移動も悪くないと考える人も居るのではないでしょうか。

 発災から100日目に労働移動の決断をし、そこから3カ月の職業訓練を受けていれば200日目には新たな職探しも本格化、早い人では修行先が見つかっているかもしれません。

 発災200日が、新たな門出となるような備え、次の災害を想像して平時に検討していければと思います。




くうねるところにすむところ

 職と並行して必要になるのが住まいです。

 持ち家か賃貸か、戸建か集合住宅か、都市部か郊外か、人それぞれに希望が異なります。

 何より大事なことは、その人にとって幸せか、豊かさを感じられるか、生活に支障がないかということです。

 筆者は大学生の頃、雨風をしのげれば良いという発想で住まいを選んだため、トイレはボットン、テーブルに置いたドーナツはネズミにかじられる、雪が降る地域だが隙間風がひどい、というボロ家に住んでいました。
 今はあの家に住もうと思いませんが、当時は不幸だと思うこともなく、身の丈に合っていて良かったかなと思っています。

 被災者だからボロ家でも我慢しろということではなく、立派な仮設住宅だが駅から遠いよりも、古くて狭くても良いから駅から近い方が生活しやすいという人も居ると思いますので、被災者の住居選びには幅を持たせて貰えると良いなと思います。

 近年の災害では『みなし仮設住宅』として一般のアパートなども利用できるようになっているので、そのあたりは柔軟な運用がなされていると思います。




200日は短いような、長いような

 能登半島地震から200日、自宅に戻れず不便な生活をしている人にとっては長い長い200日であったと思います。

 今後どうしようかと焦っている人にとっては、もう200日も過ぎてしまった、いったいどうしようかとますます焦る、プレッシャーの多い200日であったかもしれません。

 未来に訪れるであろう災害を想像する人にとって『200日もあれば何でもできる』と考えることは難しいかなと思いました。200日は短い、だから計画的に動かねばならない、そのためには計画を練り上げておく必要がある、そう考えさせられる200日目になった思います。

 改めて、中長期的なタイムラインを作っておくべきであると感じました。




終わりに

 転んでもただでは起きない、困難に直面しても簡単にはあきらめない、そのようなきれいごとは平時には考える余裕があると思います。

 実際に被災してしまうと絶望が襲ってくるのではないかと思い、心が折れてしまったときに、どうやって平常心に戻るのかもわかりません。

 筆者は被災者ではないので、今のうちに、ピンチをチャンスに変えるような戦略や戦術を考えておきたいと思いました。

 戦略を練る中で、被災者にどのような戦術を提供すれば復旧や復興に役立つのかが見えるかもしれない、とも思いました。

 営繕屋でもやろうと思っても、大工道具も工事技術もないから諦めてしまうとすれば、その2つを提供すれば動き出す人が居るかもしれない。さらに仕事をマッチングするプラットフォームまで提供すればビジネスとして循環するかもしれない、と考え付けば戦術はだいたい想像できます。

 筆者は労働移動、リカレント教育の経験者です。精神的にきつい時期もありましたが、今では2つのプロを経験したことが武器になっているかもしれません。

 被災しないにこしたことはありませんが、偶発的、受動的なものですので平時から戦略を練りたいと思います。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 被災された皆様の、確実な復旧と復興を願っております。