PMDAから送られてくる『回収情報クラスII(医療機器)発出のお知らせ』は全件、目を通していますが、今日の改修情報は危険を感じました。
それは、医療従事者の立場であっても、患者の立場であっても、脅威ではないかと思う内容です。
循環血液量
体重50~60kgの成人であれば、循環血液量は4L~5L程度です。概ね体重の8%程度が血液とされているためです。
健常者であればヘマトクリット値は40~45%程度です。循環血液量が4L~5Lであるとすると、1.6~2.2L程度が赤血球であると概算できます。ヘマトクリット値が低いと『貧血』と言われます。
透析患者の場合、ヘマトクリット値は30~35%です。量で言うと1.2~1.8L程度の赤血球ということになります。
体重50kgで循環血液量4L(4,000mL)、ヘマトクリット値30%の透析患者が血液を200mL失うと、60mLの赤血球成分を失うことになります。
元の赤血球成分が1,200mL、そこから60mL引いて1,140mL、失血した200mLを生理食塩水などで補って循環血液量を一時的に4,000mLに戻したとき、ヘマトクリット値は28.5%にまで低下していることになります。
透析と貧血
透析患者は、腎障害による腎でのエリスロポエチン(EPO)産生能が低下しています。
エリスロポエチンは造血刺激ホルモンなどと呼ばれるもので、血を造る上で重要な役割を果たしますが、このホルモンの分泌が少なければ、血が造られないということになります。
ゆえに、透析患者と貧血は密接な関係にあります。
ただでさえ造血に課題を抱えているにも関わらず、週3回の透析では血液を体外循環させるため、どうしても回路内には数mL~数十mLの残血が生じますし、異物と触れて壊れる血液もあり、毎度のロスの積み重ねが課題となっています。
透析患者の30mL失血
日本透析医会の『透析施設におけるブラッドアクセス関連
事故防止に関する研究』報告書にあった事例では、透析回路に亀裂が生じて『失血約30mL』があった事例を『レベル3』と評価しています。
ここでいうレベル3は『実害が生じ,そのため検査や治療を行った,あるいは入院の必要が生じた,または入院期間の延長を要した』と定義されています。
同レポートで30~300mLの失血があった事例でもレベル3とされています。
同レポートで200mLの失血があった事例でもレベル3とされています。
【参考】日本透析医会:透析施設におけるブラッドアクセス関連
事故防止に関する研究
患者影響度分類
医療に関する場所においては、様々なトラブルが発生し得えます。患者あるいは被害者への影響の程度に応じて、患者影響度レベルを定義しています。各院の方針に従うところがありますが、概ね下表のような内容になっています。
レベル3aまでがインシデント、3b以上がアクシデントです。
回路凝血による失血は、同量の補液が行われる、改めて透析の準備をするので時間的な拘束がある、針まで凝血していれば穿刺が必要になるなど、レベル3aは確定的、場合によっては3bになる可能性があると思います。
傷害の継続性 | 傷害の程度 | ||
レベル0 | - | エラーや医薬品・医療用具の不具合が見られたが、患者には実施されなかった場合 | |
レベル1 | なし | エラーや医薬品・医療用具の不具合があり、患者に実施されたが、影響がなかった場合 | |
レベル2 | 一過性 | 軽度 | 患者のバイタルサインに変化が生じたり、検査の必要性が生じた場合 |
レベル3a | 一過性 | 中等度 | 軽微な治療や処置(消毒、湿布、鎮痛剤投与など)が必要となった場合 |
レベル3b | 一過性 | 高度 | 濃厚な治療や処置(予定外の処置や治療、入院、入院期間延長など)が必要となった場合 |
レベル4a | 永続的 | 軽度~中等度 | 永続的な障害や後遺症が残ったが、有意な機能障害や美容上の問題は伴わない |
レベル4b | 永続的 | 中等度~高度 | 永続的な障害や後遺症が残り、有意な機能障害や美容上の問題を伴う |
レベル5 | 死亡 | 死亡(原疾患の自然経過によるものを除く) | |
その他 | - | 医療事故とは異なるもので、医療従事者に過誤・過失がないにも関わらず、患者から苦情が発生した場合 |
企業の見解
血液透析に用いる装置の不具合報告があり、メーカーが改修することになりました。これ自体は普通のこと、工業製品なので不具合は仕方ない部分もあります。
その不具合による健康被害について、これで良いのかと思わせる内容が書かれていました。筆者が院内の医療安全責任者の立場で、現場からこのようなレポートが出てきたら、すぐにコアメンバー会議を招集するかなと思います。
前提として、この装置は『医療従事者の監視下において使用されます』とされています。これについては間違いないですが、1台に1人がつきっきりというものではなく、落ち着いている時間帯であれば1人で5~10台を受け持っています。
次が最初の問題です。
- 通常はランプが点灯
- 今回の異常が発生した場合はランプが全消灯
- 全消灯(シャットダウン)する際に警報音は発しない
- 医療従事者が危機の異常を察知し対応する
上記の通り、静かに装置が止まってしまうのですが、それが『いつの間にか』ということではなく、医療従事者が異常を察知できるので対応できる、という理屈のようです。
2つ目は以下のとおりです。
- 発見が遅れる場合もある
- 発見が遅れた場合は、発見までの間は治療が中断
- ダイアライザ及び血液回路内の血液を損失
- その損失量は限定的
上記のように、発見が遅れれば体外循環中の血液は失うが、その量は『限定的』と述べています。血液回路等の充填血液量は一定量なので『限定的』ですが、患者の身体状態から見たら影響は限定的ではなく、重篤かもしれません。
警報音も赤ランプも不要?
血液浄化装置に警報音の発報機能が搭載されている理由は、ランプなどでは気付けない可能性がある、注意を引く必要性があるからだと思います。
また、装置には赤・黄・緑(青)のランプが搭載されていますが、これも異常や正常を視覚的に伝えるためのものであって、特に装置が止まるような異常があれば赤ランプが点灯または点滅して知らせます。
その、異常を知らせるための赤色ランプも点灯しないのであれば、気づきづらいと思います。
しかしながら、この文章から見ると警報音も赤ランプも、いずれも無い場合でも医療従事者の監視下にあるのだから気づいて当然、ということにも読めてしまいます。
やっぱり気付かない
監視下にあるのだから気づくだろうという話題があったかと思えば『発見が遅れた場合』ということで、気づかないことも想定しているようです。
『失血量も限定的』というのは、医師の見解なのか、透析医会や透析医学会の見解なのか、論文等のエビデンスがあるのか、そのあたりが不明です。
言葉の捉え方は人それぞれですが『も』という表現、失血量はたかが知れているので大丈夫だと読めてしまうのではないかと思います。
医療従事者の努力
血液透析の臨床では、透析後の返血に注意を払って居ます。回路内に残血が無いように、少しでも血液が患者に返されるようにと、血液回路を揉んでみたり、ダイアライザの向きを変えてみたり、色々と工夫しています。
年間150回ほどの透析、1mLの残血でも年間150mLの失血です。そのわずかな量を惜しみ、年間を通じて残血ゼロを目指しています。
充填血液量≒輸血
血液透析に用いられる血液回路やダイアライザなどの充填血液量は150mL~200mL程度だと思います。
装置停止の発見が遅れて凝血してしまった場合、150~200mLの失血と同じことが起こります。
輸血に用いる赤血球濃厚液(MAP)は、パック内の容量は140mLですが、元となる血液量は200mLです。すなわち、200mLの失血を補うには、MAPを1袋使用することになります。
MAPは140mL入1袋で8,597円です。保管する費用、輸血するためのチューブ類、輸液ポンプなどの雑費がかかります。また、輸血に際してはクロスマッチといった検査も必要になります。
輸血には一定のリスクがあります。思わぬ副作用が起こる可能性があるので、輸血はしないにこしたことはありません。
医療機器のスペシャリストの意見は?
医療機器のスペシャリストを謳う臨床工学技士は、血液透析の現場に居ないというケースが稀なくらい、血液透析に関わっています。
よく知っているメーカーさんが言っていることだから良いと片づけるのか、この表記には問題があると言い出すのか、筆者にはわかりません。
『スペシャリスト』を自称するくらいなので、患者安全を考えると、今回の改修情報は看過できないレベルではないかと思います。
患者の貴重な血液150ml~200mLを『損失量も限定的』と述べているあたりは、配慮に欠けるのではないかと思います。
もし、この事象が発生して回路内凝血が起こり、患者が死亡するに至った場合には誰が責任を取るのでしょうか。メーカーからは装置が停止する不具合が報告されており、それを知っておくことは医療機器安全管理責任者の仕事であると考えられます。メーカーは失血することも告げていたという立場をとられると、医療従事者側に責任が押し付けられる可能性があります。
職員の安全のためにも、この文言は訂正してもらった方が良いのではと個人的な所感はありますが、職能団体からは何の声明も出ていないので、たぶんこのまま過ぎていく、数週間もすれば改修が終わって過去のことになるのかなと思います。
既に改修済?
この回収情報が発表されたのは『令和6年7月11日』となっています。
一方で改修開始年月日は『令和6年6月12日』となっており、既に1カ月ほど経過しています。
本来は改修情報を出して、同時に改修を始めるべきですが、先に改修して、あとから報告という形をとったようです。これは薬機法として許されるのかどうかわかりませんが、現実として1カ月のタイムラグが生じています。
患者安全に志向
何が良いか悪いかの議論も必要ですが、とにかく患者の安全を守る事が第一です。
失血してしまうのであれば、失血しないように努力する、失血してもリカバリできる手段を講じておく、ということが必要かなと思います。
医療機器の回収/改修情報は関心が薄いようですが、医療機器の専門家である職種の方々には、もっと関心を持ってもらいたいなと思いました。