2011年3月11日を1日目とすると、今日が5,000日目です。
毎年3月11日の14時46分に黙祷が捧げられますが、14時46分の発災の瞬間にお亡くなりになった方々は少数派、その後に到来した津波や、瓦礫の下で発見されずに圧死した方が非常に多く居られます。
コヤマ菓子店さんの動画は何度見ても生々しいなと思います。おそらく、ここに映っている人の何人か、もしかすると何百人かが津波にのまれてお亡くなりになっていると思います。
NHKの動画は埋込が許可されていないので、リンク先をご参照いただければと思いますが、大震災が起こる前の様子から、地震が起きた時のNHKの放送の様子が映され、その後は被害の大きさを伝える映像が続きます。
人間の無力さを感じるとともに、地震のエネルギーがとてつもなく大きいことを実感します。ピーク時の揺れの大きさは報道される機会も多いですが、非常に長い時間揺れていたことも記憶に残しておくべきだと思います。
幼少期から経験している避難訓練の成果であるのかわかりませんが、避難するということ自体がパニックになっているケースは少なかったようです。群衆雪崩のような報道は聞く事がありません。
アドレナリンが出たまま、興奮状態で建物の外に避難して、さてそこからどうしようかという様子です。
津波警報が出ている地域では、警報音が鳴り響くので危険を察知し、高台へと逃げる人が続出しています。
もし、防災無線が壊れてしまったら、高台避難する機会も失います。
もし、家具などに挟まれてしまい身動きがとれなくなった場合、津波警報の音は、自らの死を覚悟しなければならない警報音になるかもしれません。
NHKの動画では10分を過ぎたあたり、津波が来ているから逃げるように叫ぶ人がいる一方で、まったく動じずに川辺で海の方を眺めている人がたくさん居たのが印象的です。
逃げたくなる警報音
津波が来ていることを知らせても逃げて行かない人が多いのであれば、どのように警告すれば逃げていくのか研究すべきだと思いました。
国民が皆で話し合い、このような音なら恐れをなして逃げるといった意見を集めて、何種類か音を流しても良いかなと思います。
逃げるは恥だが役に立つ
津波警報を聴いて、逃げたが津波は来なかったというときに『損した』と思う人、『恥ずかしい』と思う人、それを馬鹿にする人、色々といるかもしれません。
逃げたことを称賛する世論を形成すべきかなと思います。
そのためには、津波で逃げたことによって助かった命、そして、その逆について教育をする必要があると思います。
津波の恐れがある沿岸部では幼い頃から津波について教わりますが、全国民の一部、ごくわずかです。
海なし県の児童生徒が修学旅行で海岸沿いに泊まることがあれば、その前に学校で津波教育をしなければ、子供たちの生命は守られないかもしれません。
戦争の語り部のお話を聞く事も重要ですが、津波を経験した人の生々しい話を聞く事の方が、子供たちにもピンと来るかもしれません。
筆者は海なし県出身、津波はおろか海水浴場の恐ろしさも知らずに育ちました。
被災者の『語る場』
東日本大震災の『語り部』として認定された人はたくさん居るようですが、体験した人は何十万人、何百万人と居ますので、語るべき話題を持っている人は多いと思います。
まだ13年しか経過していませんが、すでに震災について話す機会を失っている被災者が多く居ます。
話を聞くと空気が重くなることもありますが、一方で、話している人は被災しても生き残った人、ポジティブな話題もあると思います。
今日から毎日1人ずつお話を聞いても、1万日目まで5,000人分しか枠がありません。津波被害が大きかった宮城や岩手の沿岸部だけでも何十万と被災者が健在ですので、ぜひ『語る場』を作って頂ければと思います。
『語る場』としてのコミュニティラジオ
全国ネットのテレビやラジオでは難しいことも、コミュニティFM局であれば出来ることがあるかもしれません。
私案ですが、被災者に拠点に来ていただいて話して貰うという方法と、押掛けて話を聞く方法の2通りを定着させれば、たくさんのお話を聞けるのではないかと思います。
拠点についてはラジオ局だけでなく、例えば市役所やショッピングモールに電話ボックスのようなものを設置して、そこに用意されているインタビューシートに沿ってお話しして頂ければ、無人でも運営ができそうです。
訪問については局員が全軒対応は難しいので、インタビュアーを育成して、例えば小学校区内で色々な人を紹介してもらいながら巡っていくような活動ができれば、多種多様なお話を聞けると思います。
2038年
阪神淡路大震災が10,000日目を迎えたのは2022年6月3日です。
東日本大震災が10,000日目を迎えるのは2038年7月26日です。
そして、能登半島地震が5,000日目を迎えるのは2037年9月8日です。
5千日や1万日というと遠い先にも思えますが、意外と近い未来かもしれません。
その間にも新たな大災害が起きる可能性があります。現に、起きてしまっているので否定はできません。
2038年を平穏に迎えられるように、できればその間に大災害が起こらないことを願って、今日の5,000日目を過ごしたいと思います。