2016年4月14日21時26分頃に前震、4月16日1時25分頃に本震が発生した熊本地震(平成28年熊本地震)は今日で丸3千日目となりました。
3千日というのは長いのか、短いのか、人それぞれに感じ方が違う長さかなと思います。
筆者の友人宅は今でもヒビが入ったまま、あの日から変わっていないことがいくつもあるそうです。
一方で町中を見ると、TSMCの進出により住民の構成が大きく変わったエリアがあります。
まずは3,000日前を振り返ることができる、アーカイブ資料を見ていきたいと思います。
熊本地震デジタルアーカイブ
熊本県としてまとめているような資料です。色々なところが協力しているので県庁だけの仕事ではないと思います。
市町の震災記録
熊本市では、貴重な経験を次世代に伝承することを目的に記録をまとめています。
県内最大の都市であり、被災の程度も大きかったので、ここに掲載されていない情報も多くあると思います。
益城町は震度7が2回襲ったエリアです。被害が大きかったのですが、今ではTSMCの進出都市として人口の流入が著しい都市です。
阿蘇市も多様な被害があった都市です。最大震度は6弱でしたので、益城町に比べると被害の程度が軽く見られてしまいますが、被災地です。
大津町は本震で震度6強でした。
熊本県工業連合会 熊本地震誌
一般社団法人熊本県工業連合会がまとめた記録誌です。中小企業の状況もわかるので、行政が発行する資料とはまた違った視点での情報収集に役立つと思います。
熊本公立文化施設協議会 震災記録誌
公立の劇場などの被害状況などをまとめた記録誌です。珍しい資料だと思います。
3,000日の間に
あの日から3,000日の間にも、大きな地震が多数発生しています。本震があった4月16日を1日目として、追っていきます。
62日目(2016年6月16日)
北海道の内浦湾を震源に、函館で震度6弱の地震が発生しました。
189日目(2016年10月21日)
鳥取県中部を震源に、倉吉市、湯梨浜町、北栄町で震度6弱の地震が発生しました。
257日目(2016年12月28日)
茨城県北部を震源に、高萩市で震度6弱の地震が発生しました。
794日目(2018年6月18日)
大阪府北部を震源に、高槻市、茨木市、箕面市、枚方市、大阪北区で震度6弱の地震が発生しました。
874日目(2018年9月6日)
北海道胆振地方中東部を震源に、厚真町で震度7、安平町とむかわ町で震度6強、千歳市、平取町、日高地方日高町で震度6弱の地震が発生しました。
1,020日目(2019年1月3日)
熊本県熊本地方を震源に、和水町で震度6弱の地震が発生しました。
1,042日目(2019年2月21日)
北海道胆振地方中東部を震源に、厚真町で震度6弱の地震が発生しました。
1,159日目(2019年6月18日)
山形県沖を震源に、村上市で震度6弱の地震が発生しました。
1,765日目(2021年2月13日)
福島県沖を震源に、宮城県蔵王町、福島県国見町、相馬市、新地町で震度6強でした。
宮城県岩沼市、宮城川崎町、亘理町、山元町、登米市、石巻市、福島県福島市、郡山市、須賀川市、福島伊達市、本宮市、桑折町、川俣町、天栄村、南相馬市、福島広野町、楢葉町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町で震度6弱の地震が発生しました。
2,161日目(2022年3月16日)
福島県沖を震源に、登米市、蔵王町、国見町、相馬市、南相馬市で震度6強でした。
栗原市、大崎市、涌谷町、名取市、角田市、岩沼市、大河原町、宮城川崎町、亘理町、山元町、石巻市、東松島市、福島市、二本松市、田村市、福島伊達市、桑折町、天栄村、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、新地町、飯舘村で震度6弱の地震が発生しました。
2,256日目(2022年6月19日)
石川県能登地方を震源に、珠洲市で震度6弱の地震が発生しました。
2,576日目(2023年5月5日)
石川県能登地方を震源に、珠洲市で震度6強の地震が発生しました。
2,817日目(2024年1月1日)
石川県能登地方を震源に、志賀町で震度7、七尾市、輪島市、珠洲市、穴水町で震度6強、長岡市、中能登町、能登町で震度6強の地震が発生しました。
2,822日目(2024年1月6日)
石川県能登地方を震源に、志賀町で震度6弱の地震が発生しました。
2,924日目(2024年4月17日)
豊後水道を震源に、愛媛県愛南町、高知県宿毛市で震度6弱の地震が発生しました。
2024年は多い!?
振り返ってみると、熊本では1,020日目に大きな地震に見舞われています。2016年は前震と本震の間は1日半も無かったのですが、その後は1,000日も間が空きました。
石川県の奥能登では、2023年5月に地震、そして2024年の元旦に地震が発生しています。5月5日を1日目とすると、242日目に大きな地震が来ています。
奥能登では他にも大きな地震があるかもしれませんが、地震計が故障していた可能性があり、記録としては1月6日の志賀町の地震が最後の震度6以上になっています。
4月17日の夜遅くにも地震がありました。石川県の奥能登と同じように県中心街からは離れた、人口の少なめな都市での地震でしたので、報道量はさほど多くありませんでした。
国民の関心は薄れたか?
熊本の復興のために、熊本産の物を買おうとか、フードフェスに熊本の企業を誘致しようという動きは少なくなったような気がします。
筆者は手土産に『風雅巻き』という豆のお菓子を定番化しており、小さな額ですが熊本にお金を落とそうとしています。
熊本の産業振興に係るイベントに、毎月、オブザーバーとして参加しています。もちろん謝金などはありません。専門家として社会貢献する『プロボノ』といった位置づけです。
熊本城が再建されていく様子を毎日見ている人は、復旧や復興を実感しているかもしれません。同時に、震災については恐怖心から次へ活かす教訓へと変化しているかもしれません。
今日の時点で言えば、国民には『石川県』という言葉が震災とつながっていると思います。新潟県や富山県でも同様に被災した人が居ますが、マスコミの報道量からすると、被災地イコール奥能登ということになっていると思います。
熊本を忘れた訳ではないでしょうが、いま地震の被災地といわれて熊本と言うひとが1%居るのかどうか、という程度だと思います。
時は過ぎても
『私は被災者です』と言うシチュエーションは、発災から1年で多くの人から消え去り、『私は被災した経験があります』というステータスだけが残っていると思います。
仮設住宅に入り、自宅の再建を待つ人も、4~5年以内には新しい家に引越し、被災者というシチュエーションから抜けていくと思います。
一方で、被災した経験は生涯ついて来ると思いますので、そのステータスをどう扱うかは人それぞれです。
『語り部』として伝承していきたい人もいれば、可能な限り忘れたい記憶だと思っている人も居ると思います。被災したかどうかは関係なく、日々の生活に追われている人も少なくないと思います。
お祭り騒ぎのあとの躁鬱、○○ロスのような状態は精神的に良くないと聞いたことがあったので、2016年の秋には熊本で開催できるイベントをいくつか企画し、持ち込んだことを思い出しました。
あの時期を乗り越えれば、あとは語り継ぐだけで済むかなと思っていましたが、その後も豪雨被害など色々と起きてしまいました。
今日は3,000日目、どのような気分で迎えられているのか、おうかがいしてみたいものです。